March

ケルトの時間はメリーゴーラウンド
3月になると日本でもイースターのウサギや卵を目にします。
イースターは春分 (3月20日) の後の最初の満月の次の日曜日です。 しかし、イエスキリストの復活という重めの言葉になぜウサギがいるのか、なぜ卵なのか……ずっと不思議でした。
なにがそんなにハッピーなイースターなの???
その謎を解くために、風が凍てつき、空は鉛色に低く垂れ込めるアイルランドの小高い丘で、春の前の冬を支配する老婆の話を聞きましょう。 彼女は5000年間、ここで人々の春が来るのを待っていました。

1. 老婆の嘆き——冬の住人
その老婆の話は、9世紀のアイルランドに遡ります。 羊皮紙に詩人がこんな言葉を書き記しました。
全部で五つの写本に残されるその詩のタイトルは 「ベアラの老婆の嘆き(Caillech Bhéara の嘆き)」 現存するアイルランド語文学の中でも最古の作品のひとつです。
「私はブーイ、ベアラの老婆だ」
老いた女の独白です。 かつては何人もの王と並び立ち、七度の青春を生き、七人の夫が老いて死んでも自分だけが生き続けた——そんな存在が、今や力を失い、かつての栄光を海の満ち引きになぞらえて嘆くのです。
カリアッハ (Cailleach) はアイルランドとスコットランドにまたがるゲール語圏が育んだ、冬と大地の 老女神です。
彼女の名前は 「ヴェールをまとった者 (Veiled One)」 を意味します。 語根 caille は 「覆い」 を意味します。
スコットランドの伝承では 「カリアッハ・ビュール (Cailleach Bheur)」 と呼ばれ、青黒い顔、額の中央にひとつだけある眼、霜に覆われたもつれた髪、そして杖 (スタッフ)を持っている。
彼女がその杖で大地を叩くと霜が降り、草木の命が縮み、彼女の洗い物 (衣) を川で洗うと雪が降る。
彼女はアイルランド神話の 「正式な神々トゥアハ・デ・ダナーン」 には属しません。 その古さゆえに体系化を拒む、民間伝承の神格なのです。
しかし、この詩の中の彼女に耳を傾けると、興味深いことがわかります。 「かつては」 と過去形で語り、今は力を失い、ただ待つだけ——春が来るまで。
カリアッハは毎年サウィン(Samhain)=ハロウィンの頃に力を得て冬の大地を支配し、インボルク(Imbolc)=2月1日頃までその権勢を振るいます。 この 一年を光の半分と闇の半分に分ける「サモス (Samos = 夏・光の半年)」 と 「ギアモス (Giamos = 冬・闇の半年) 」 の二分法はケルト世界に広く共有された宇宙観だったことがわかっています。
カリアッハはこの 「ギアモス」 を体現する存在なのです。
彼女は 「死や破壊の女神」 ではありません。 彼女は大地を休ませ、内側にエネルギーを蓄えさせる存在です。 種が土の中で静かに息づくように、冬の大地が春に爆発的な生命力を取り戻すためには、この 「深い眠りの時間」 が不可欠なのです。
ケルトの人々にとって、時間とは直線ではありませんでした。 大きな車輪のような 「生命の輪」 が永遠に回り続けるものでした。もしかしたら私たちの人生も、直線ではなく何度も訪れる 「冬」 と 「春」 の繰り返しなのかもしれません。

2. 春分の聖地 ラフクルーはリマインダー
冬の厳しい寒さが和らぎ、太陽が力を増してくると、世界は春分 (Spring Equinox) を迎えます。
アイルランド・ミース州にラフクルー (Loughcrew) という場所があります。 地元の人々はここを 「スリアブ・ナ・カリグ (Sliabh na Caillíghe)=魔女の山」 と呼びます。 小高い丘の上に広がる、新石器時代の石塚群です。
5000年前、ケルト人がこの島に来るよりはるか昔。 誰かがこの丘に石塚を築きました。 その名の由来は、カリアッハの伝説にあります。 彼女は北の大地から飛んできて、丘から丘へと跳び越えながら、エプロンに入れた大きな石をこぼし落としていった——その石が積み重なってこの石塚群になったのだと、アイルランドの民間伝承は語ります。
丘の頂上には 「魔女の椅子 (Hag’s Chair)」 と呼ばれる巨大な縁石が今も残されています。 カリアッハがここに腰かけて冬の大地を見渡していたと、言い伝えられてきました。
しかし、ここにはもっと驚くべき秘密が眠っていました。
1980年。 アイルランド系アメリカ人の研究者マーティン・ブレナンが、春分の夜明けにその秘密を発見しました。 ブレナンは古代天文学者の遺跡を調査する専門家で、この石塚群の天文学的意義を解明した人物です。
彼が見たのは、春分の朝、地平線からゆっくりと昇る太陽の光が、 「ケアン・T(Cairn T)」 と呼ばれる石塚の細い通路を一直線に貫通し、約50分にわたって奥の石壁を黄金色に照らし出す光景でした。 その壁には太陽の記号が刻まれており、光の当たる場所と刻まれた文様が、まるで呼応するかのようにぴたりと重なります。 これが 「等分石(Equinox Stone)」 と呼ばれる理由です。
この遺構が建造されたのは紀元前3200年頃です。 5000年前の人々は、天文学的精度で 「春分」 という瞬間を記録しようとしていました。 彼らがどんな言葉を話したのか、何を信じていたのかはわかりません。
しかし、彼らが感じたであろう 「暗闇の後の光」 という感覚は、5000年の時間をまたいで、今もここで繰り返されています。
長い冬の後の、最初の暖かさ。 5000年前の人々と私たちは、その感覚を共有しているのです。
この遺構が建造されたのは紀元前3200年頃。 ケルト人が島にやってくるよりもはるか昔、新石器時代の人々の手によって、天文学的精度で設計されていたのです。 彼らがどんな言葉を話したのか、何を信じていたのかは未確認です。
しかしひとつだけ確かなことは、春分の朝に光が通路を貫いて石を照らす、それは5000年の時間をまたいで今も繰り返されており、古代の人々が 「春分」 という瞬間を必死に記録しようとしたことを物語っています。
ラフクルーはカリアッハが眠りにつき、大地の光が帰ってくる、そしてイースターを毎年確実に行えるリマインダーだったのですね。

3. ウサギ——境界を行き来する目撃者
アイルランドの野原を、ピーターラビットやウォレスとグルミットに出てくるようなウサギが輪になって追いかけ合います。
アイルランドの民間伝承において、野ウサギ (アイリッシュ・ヘア) は異界 (アザーワールド) と現世の境界を自在に行き来できる神秘的な使者と考えられ、ケルトの人々は、ウサギを 「善良な人々 (妖精)」 の使いとして畏れ敬いました。
月明かりの野原で三匹のウサギが輪になって追いかけ合う姿は、妖精の踊りの場に迷い込んだしるしだとも言われました。
また、古いアイルランドの伝説では、見知らぬウサギが農家の牛の乳を盗んで姿を消した話が語り継がれており、そのウサギは実は魔女か妖精が化けた姿だったとされています。 ウサギの 素早さと突然の消え方が、異界との往来のイメージを強めたのでしょう。
2世紀、ローマの歴史家カッシウス・ディオの記録によると、ブリテンの女王ブーディカはローマへの反乱軍を率いる前に、戦の女神アンドラステ (Andraste) に祈りを捧げながらウサギを解き放ち、その走る方向で戦の吉凶を占ったのです。
「彼女は占いの一種を行い、衣服の折り目からウサギを逃がした。 ウサギが吉兆とされる方向に走り出すと、群衆は歓声を上げた」 ——カッシウス・ディオ 『ローマ史』 第62巻
ここに、ウサギの本質的な意味があります。 ウサギは 「自由意志」 を持ちます。 彼らは人間の期待に応えるわけでも、拒むわけでもなく、ただ自分の方向へ走ります。 そして、その方向が 「吉兆」 となるか 「凶兆」 となるかは、人間の解釈に委ねられます。
ウサギは、予定調和ではありません。 彼らは人間の制御を逃れ自分の意志で境界を越えます。 そして、その跳躍を見た人間はそれを 「神意」 と解釈します。
これが、後にイースターバニーへと繋がっていきます。 19世紀以降ドイツの民俗学者グリム兄弟が広めた説を端緒として、民間文化の中でイースターバニーとして徐々に形成されていったものと考えられます。
しかし本質は変わっていません。 ウサギは、春の到来を告げる使者であり、同時に人間の予測を超えて跳躍する自由な存在です。
ウサギは聖お兄さんのペットじゃなかったんですね!!

4. 春の女神エオストレと 1300年越しの謎解き
毎年春に訪れる 「イースター(Easter)」 この言葉の由来は、キリスト教の 「復活祭」 とは別のところにある。 まことしやかに囁かれる、その話を聞いたことはありますか?
この謎を解く鍵を握っているのは、今から約1300年前、8世紀のイングランドに生きたひとりの修道士です。
ベーダ・ヴェネラビリス (Venerable Bede) 後世に 「尊者ベーダ」 と呼ばれる大学者は、西暦725年に 『時間の計算 (De Temporum Ratione)』 という著作の中で、こんなことを書き残しました。
「かつてアングロ・サクソン人は、今の 4月頃にあたる月を 『エオストゥルモナス (Ēosturmōnaþ)』 と呼んでいた。 これは、その月に祭りで称えられた彼らの女神 『エオストレ(Ēostre)』 の名に由来する」
たったこれだけ、この一節が、「イースター」 という名前をめぐる議論の出発点です。 ベーダの記述は短く、エオストレという女神について詳しいことは何も書かれていません。 そのため長らく 「ベーダが勝手に作り上げた架空の女神では?」 という疑いがつきまといました。
ところが !!!
1958年から、ドイツのボン近郊 (ライン川流域のモルケン=ハーフという地域) で、ある岩場の発掘が始まりました。 そこから次々と掘り出されたのが、「マトロナエ・アウストリアヘナエ (Matronae Austriahenae)」 という女神たちへの奉納碑文——その数、なんと150点以上。 碑文は西暦150〜250年頃のものと推定されています。
「アウストリアヘナエ (Austriahenae)」 、「エオストレ (Ēostre)」 この二つの名前は語源的に同じ根から来ている可能性が高いのです。 両者はともに、インド・ヨーロッパ語族の 「夜明け・東 (dawn / east)」 を意味する語根にさかのぼると考えられています。
ラテン語の 「アウロラ(Aurora)」、ギリシャ語の「エオス(Eos)」——どれも同じ「夜明けの女神」の系譜にある名前です。
つまり 「Easter(イースター)」 という言葉は、春の女神エオストレの名が付いた 「エオストゥルモナス (夜明け・春の月)」 という月名が、そのまま春のキリスト教の祭りの名前として英語に残ったものと考えられます。
春の女神エオストレは「生殖の女神」であり、成長、調和、そして生命の再生産を司ります。
つまり 「Easter(イースター)」 という言葉は、春の女神エオストレの名が付いた 「エオストゥルモナス (夜明け・春の月)」 という月名が、そのまま春のキリスト教の祭りの名前として英語に残ったものと考えられます。
しかし、ここで重要なのは、エオストレという女神が 「失われた」 ということです。 ブーディカのウサギや、ラフクルーの石塚とは違い、エオストレについては、ベーダの一節以外にほとんど情報がありません。 彼女は 「名前だけが残った」 女神なのです。
しかし、「夜明けを告げる女神の名が、1000年以上の時を経て現代の祭りの名前として残っている」ということは、それだけで重要です。 5000年の時間を経て、私たちは 「Easter」 という言葉を口にするたびに、無意識のうちに 「夜明けの女神」 の名を呼んでいるのです。

まとめ メリーゴーラウンドに乗って
ここまでの旅を振り返ります。
紀元前3200年頃——ラフクルーの石塚が春分の日の出に向けて建造されました。 誰が、何のために作ったかはわかりません。
その後、ケルト語族がこの島にやってきます。 彼らは先人たちの石塚を引き継ぎ、そこに自分たちの女神カリアッハの物語を重ねました。
海を越えたブリテン島では、女王ブーディカが戦の前夜に衣の中からウサギを放ち、その走る方向に神意を読みました。
アングロサクソンの人々は春の月を 「エオストゥルモナス」 と呼び、夜明けの女神エオストレを祝いました。 彼女の名前は1300年の時を経て、今日のイースター (Easter) という言葉として英語に生き残っています。
そして、私たちはスーパーで外国の包装紙のチョコレートウサギを手に取ります。
カリアッハが眠り、ラフクルーの光が石を照らし、野ウサギが走り出す。 そのイメージは5000年前の人間が感じたものと、私たちが春に感じる 「なにかが始まるような前向きになる感覚」 を、イースターを通し細い糸でつないでいます。
ケルトの人々にとって、時間とは直線ではありませんでした。 大きな車輪=「生命の輪」 が永遠に回り続けるものでした。
もしかしたら、私たちの人生も直線ではなく、何度も訪れる 「冬」 と 「春」 の繰り返しなのかもしれません。
カリアッハが示すように、冬は単なる 「死」 の季節ではなく、大地が休み内側にエネルギーを蓄える必要な時間です。 そして、ラフクルーの石塚が示すように、暗闇の後には必ず光が訪れます。
イースターは、古代の儀式でもキリスト教の祭りでもなく、私たちの中の 「円環」 が回り続けている証です。
円環は私たちの中で、今日も静かに回り続けています。
そして、結論は 「古すぎてわからない」 です。
この長い長いブログを読んでいただきありがとうございました。

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